ウツローの考え、

ウツローの考え、

鹿児島在住・元ひきこもり・元ニート・ サブ3 へ挑む、

服を買い続けるむなしさ

 

 甲子園が終わり、家でクーラーを使う回数が減ってきました。クーラー生活をしていた僕にとって季節の変化、夏から秋に変わっていくことを日に日に感じています。季節の変化?台風のせい? からか体調がおかしいです。 話はガラリと変わります。

 この頃、ショッピングセンターで服を買うときむなしさを感じてしまいます。ファッション業界が勝手につくった流行を消費者である僕たちは踊らされています。流行のなかで生まれてきた(大量生産、大量消費された)服は下手したら来年は着れなくなってしまうかもしれません。 

 来年着れなくなるかもしれないという感情によって、私は服を買った時、むなしくなってしまいます。金欠気味な大学生が買った服、この服は僕にどれだけの利益をもたらしてくれるのでしょうか? 服を着ることは雨、風、寒さから守るなどの体温調節をすること、ありのままの僕を隠す(露出しない)ためです。

 流行の服を着て、ありのままの僕を表現する(着飾る)ということは別にしなくてもいいことです。ただ僕は世間体を気にする、女の子に褒められたい、自分に自信を持ちたい、物を買ってストレスを解消するという理由から服は十分揃っている(服に穴が空いたわけでも、汚れているわけでもなく)にも関わらず買ってしまいます。

 服屋でTシャツを試着して買っても外で2、3度着て、気に入らなくなってしまった場合、寝巻に変わってしまっていることは結構あります。流行遅れになって着れなくなってタンスにしまっている服もたくさんあります。

 それらの洋服を古着屋さんに売ってもお金にはならないです。また買う人も少ないと思います。大量生産、大量消費の世の中では物を所有していることにあまり意味はないような気がします。(いつも安物買いの銭失いをしているからだと思いますが、^_^;)

 人の目を気にしすぎる僕はこれからも服を買い続けます。ただ流行に乗りすぎるのではなく、定番になっている服、シンプルな服で丈夫なものを買うことによって服を買う数を減らしていきたいです。物を買ってストレスを解消している僕はミニマリストにはなれませんが、物を買うときは本当に必要か吟味、精査していきたいです。

 答えかどうか分かりませんが、自分にとって意味のある買い物をすることで、財布からお金を出して店員さんの手に渡ったときのむなしさもなくなってくるのかもしれません。情報が多い、物が多い資本主義社会の中で、流行にのまれすぎないよう生きていきたいです。