うつ病と診断され、心療内科に通い、カウンセリング、薬を飲み続け、少しづつ症状が良くなりました。心が折れ、会社を辞めた後どうするかを考えてこなかった僕は症状が良くなることを待ってました。症状が良くなってから物事を決めて行こうとしました。
ひきこもり生活
僕は心療内科に通う以外は家にひきこもり、体調が良い時だけ夕方や夜に散歩してました。無職と近所の人に思われることが嫌で、夕方から夜しか外に出ませんでした。
体力は落ちた
朝は体が動かないことが多かったです。散歩のときは家でひきこもっていることや体調が悪いため、おじいさん、おばさんに簡単に抜かれて行きました。悲しくなりました。
デイケアに通う
体調が良くなり、心療内科の先生の勧めで、精神科のデイケアに通い始めました。
理由は精神科病院は変な人たちが通うものだと思っていたこと、また若い人が僕だけ。一年間引きこもっていたことで、人とどう話せばいいか分からなくなっていたからです。
変な人たちの仲間入り
そして僕自身が精神科に通うようになり、"僕自身が変な人たちの仲間入りした゛と自分にラベリングを貼ってしまいました。
精神科のデイケアに通うことに慣れてきて、利用者や僕自身は健常者と少し違う(働かず、病院通いで劣等感を持っている)ぐらいのように感じました。デイケアでは10代が僕ひとりで、利用者にかわいがられました。
コミュニケーションの再取得
利用者は優しい方が多かったです。利用者と話すことで、人との会話の仕方を再習得することができました。
人間らしくなった
精神科のデイケアに通い始めて、職員、利用者と話し始めて薬だけを飲んでいた時と比べ、症状が良くなり人間らしくなってきたと思います。精神科のデイケアは学校、社会に比べゆっくりした時間が流れ、自分の短い人生ながら振り返ることができました。
ストレスの対処法
振り返る中で、自分のストレスからの対象法、自己肯定感の低さ、親との関係などの問題から、ドロップアウトにつながったと気付きました。
自分のストレスからの対象法は趣味を見つける、認知行動療法で考え方を変えられるよう訓練しました。自己肯定感の低さは毎日、自分の良かったことを手帳に記たり、人から褒められたことは「いいえ、そんなことないです」と謙遜するのではなく、素直に「ありがとうございます。」というようにしました。
親との関係
親との関係は
自分自身が意見を言えるように、周りをきょろきょろ見て自分の意見が変わらないよう職員さんと練習しました。
デイケア卒業
症状が良くなり、社会に復帰しました。
デイケアは居心地が良かった分、社会に戻るときは戸惑ってしまいました。
社会は物騒
社会はスピードが速く、コンビニで小銭を出すことに戸惑うと後ろのお客から「ちっ」と舌打ちされます。
バス、電車待ちで列に並んでいると、わざとぶつかってきます。誰かが誰かの陰口を言い、誰かが誰かの陰口を言われています。
デイケアではそんなことありませんでした。デイケアはお花畑で、理想郷で、平和な街で、社会で傷ついた僕はデイケアに戻りたいと時々思ってしまいます。
デイケアにはもう戻らない
しかし次、僕がデイケアに戻ったら、もう社会復帰することが難しいような気がします。デイケアで特に親しくさせてもらった方から「ここ(デイケア)はあなたのいる場所じゃない。あなたがまたここにきて遠回りしたら、もう普通に戻れない」と教えてくださったことや僕自身、同意見であったからです。
僕は今、社会で傷つけ、傷つけられながらなんとかやっております。