ウツローの考え、

ウツローの考え、

鹿児島在住・元ひきこもり・元ニート・ サブ3 へ挑む、

僕がスニーカーを好きになった理由

僕はスニーカーが好きだ。大学時代から好きで、靴屋さんに行っていろんなスニーカーを眺めて次はどんなスニーカーを買おうかなと考えたり。街の中を歩き回り、行き交う人のスニーカーと服の組み合わせを見て、にやにやしたり。服屋より、靴屋が楽しい。

 僕の感情・考えを人に話そうとすると、上手く言葉にでず、時間がかかるが、ただパソコンで文字にするとスラスラ出てくる。僕の人生の背景を考える、潜るためにスニーカーが好きなった理由を考えてみる。

スニーカーが好きになった理由

は主に二つある。

①弟がサッカースパイクをたくさん買ってもらっていたが、

 僕は野球用品を買ってもらえなかった。  僕は小学生時代、野球少年団に入っていた。弟はサッカー少年団に入っていた。野球では、スパイク、バット、グローブなど親から買ってもらった。弟はスパイク、サッカーボール、すね当て、キーパーグローブなど買ってもらっていた。弟はスパイクを一年に1個以上は買ってもらっていた。ナイキ、アディダス、プーマなどサッカー、スニーカーなどの一流のメーカーだった。サッカースパイクは、弟の足の成長、ボールを蹴ることからすぐ壊れていた。  一方、僕は練習に参加するも一生懸命ではなく野球用品はボロボロにならず、買い替えることはなかった。ただ弟がスニーカーを新しいものに買い替えるたびに羨ましく思っていた。野球用品はボロボロにはならないが、新しいものを親にせがむものの買ってもらえず、親に対して不公平感を抱いていた。

今は野球をさせてもらって、用品も買ってもらって、試合、練習では送迎もしてもらって感謝している。弟のサッカースパイクを買い替える理由も当然であって、僕が野球の練習をまじめにしていなかったから買い替えられなかった。

②学校に行く靴はナイキやアディダスは「高いからダメ」

 中学校には白い靴を履いていく校則があったが、指定靴ではなく自由であった。親にはナイキ、アディダス、プーマなどのブランド物をせがんだが、「高いからダメ」と言われ、聞いたことないメーカーの靴を履いていた。友達はナイキのエアフォースワンを履いていて羨ましかった。ナイキのスニーカーカッコよかった。

 僕は人と比べて物事を判断してしまっていた。ないものねだりだった。理由は終わり。ブランド物のスニーカーを手にする時がきた。It is time.

ブランド物スニーカーがほしかった。スニーカー熱到来。  高校時代、何としても欲しかったブランド物のスニーカーを何度も親にせがみ、ナイキのスニーカーを買ってもらった。うれしかった。ボロボロではあるが、今も残してある。

大学時代、

バイトを始めお金を持つようになると、ブランドものの靴を履けなかった幼少時代からの反動で、スニーカーを買った。大学、バイトから帰った後、玄関で履いてきたスニーカーを脱ぎ、ウェットティッシュで拭いた。大事にしているスニーカーを汚したくなかった、長く履いていたかった。スニーカーに取りつかれていた。

そして社会人になった現在

、スニーカーの熱は過去に比べ引き、良い革靴がほしいと思っている。 僕にとって大人とは「酒を飲む、投票に行く、車に乗る、仕事する、スーツを着る、革靴を履くなどをする人」と思っていて、革靴を履きこなしている人をみるとほれぼれしてしまうから革靴ほしいと思っている。また派手なスニーカーを履けなくなっている。派手なスニーカー、たとえば真っ赤なエアフォースワンは中学生、高校生などストリートファッションに多いが、僕はメンズファッジ、クルーエルオームなどきれいめファッションが好きだ。派手なスニーカーはきれいめファッションの外しに使えるが、外しとしか使えず、ファッションの幅を狭めてしまうため、革靴など落ち着いたものが欲しくなっている。