以前、僕の友達が「公務員試験に落ちた」と話してくれました。
僕は「残念だったね。そのうち、どこかに受かるさ」と言いつつ、心の中で(この、落ちこぼれ目と思い)笑っていました。心の中で笑ってしまっている自分に悲しくなってしまいました。友達に対して申し訳なかったです。
人の不幸は蜜の味という言葉があります。そして僕は人の不幸を知って、心の中で笑って味を楽しんでいました。
僕は偽善者でした。善者ではありませんでした。人の不幸から、自分の幸せを見つけてしまいました。人と比べることで、幸せを感じとっていました。
人の不幸は蜜の味という言葉を知ったのは、中学生の国語の授業でした。「そんな奴いるのかな?性格の悪い奴だな」と思いつつ覚えた記憶があります。
時は流れ
僕はいつの間にか性格の悪い人間になっておりました。良い人間になりたいと考えながら生きてきて、結果がこのざまでありました。
友達の不幸を笑ってしまっています。「友達」と呼んでいい関係なんでしょうか。彼とはただの「知人」関係だったのです。
僕は幸せを感じる方法を改めようと思います。人と比べることで幸せと不幸を決めるのではなく、過去の自分と比べて幸せの基準を決めます。友達の幸せを自分の幸せだととらえられるようにします。
そのために、自分に意識付けられるよう何回も言葉を「僕は今、幸せだ」「人の幸せは僕の幸せ」「過去の自分に勝つ」自分に言い続けます。継続していくことで、意識的から無意識へとつながっていきます。
無意識の段階へ行った場合、友達の不幸に笑わなくなってくれると願っています。
ブログで書くことは簡単です。しかし僕は唱え続けます。「僕は今、幸せだ」「人の幸せは僕の幸せ」「過去の自分に勝つ」