2月にフルマラソンを完走しました。これで人生3回目です。人生で三回目のフルマラソンを走ったなかで、「僕がなぜ走っているのか?マラソン大会に出ているのか?」を改めて考えてみました。
マラソンを始めた理由当初
フルマラソンを完走した当初は ↓ で書かれているようなものでした。
しかし、走りながら考えてみて、今は走る理由が少し変わってしまいました。
僕が走る理由
褒められたい
周りから褒められたい、認められたい。
フルマラソンを完走すると周りの方から褒められます。フルマラソン完走1回目のときは褒められたいという感情は持ってませんでした。しかし、ゲスな僕は褒められたことに味を占めて、3回目のフルマラソンに挑戦してしまいました。
「褒められたいという」モチベーションによって練習する頻度が減っていき、走る楽しさをあまり感じられなくなり大会本番になってしまいました。
ボランティアの方々が給水所で水とスポーツドリンクやバナナを用意されておりました。地域住民、ボランティアの方々が大きな声で「がんばってください」と声援を送ってくださりました。
大会では「僕の走る理由」の違和感を感じながら走り、自分自身に対して情けなくなってしまいました。練習不足の僕は28キロ過ぎてから足が止まり、ずっと歩いてしまいました。「がんばってください」の声を聴くと申し訳なくなってしまった。足が痛くて走れない僕の不甲斐なさ、フルマラソンを完走して褒められたいというゲスい欲求で動き続けている僕は器の小さい人間でした。
もちろん褒められることを目的としたため結果は芳しくありません。去年の結果より約1時間遅い、5時間45分でした。ゴールしても達成感はありません。あるのは虚しさでした。
僕はマラソン大会に出ることを2年ほど辞めようと思います。ただ家の周りを走り、「僕が走る理由」を一度、原点にもどれるようになってから大会に出場します。